自念子 1701.8m 三等三角点 瓶ヶ森

愛媛県西条市と本川村の境の山、と言うか小ピークである。「自然子の高森」と呼ばれていた。ジネンゴノカシラ。地形図

子持権現山のむこうに石鎚山が…

 以前、家族で石鎚山系の縦走をしたときには、この山は悪天候のため登らずに通り過ぎてしまっていた。しばらくして、高知県県境の山をできるだけ多く登るという、当時の目標の1ターゲットとしてこの山に向かったのだった。
 それにしても自念子の頭とはどういう意味だろう。自然薯ならばヤマイモだが、自念子とは。自然秔と書いて「じねんご」と読み、こちらは笹の実などの意味があるそうだが、これだとある程度雰囲気が出ている。意味ははっきりしないものの少し滑稽味を帯びていて味わい深い。縦走路から登ればすぐに三角点に着く。あまりここまで登って来る人もいないのか周囲はほとんど踏み広げられていなかった。
 低い笹が茂り、木製の標識がなければ、三角点をすぐには見つけられなかったかもしれない。そこからは文句なしの大展望が広がっている。訪れた人はまさに四国アルプスの真っ只中にいるのだということをすぐに認識することだろう。


 自念子越えの耳塚=藩政時代(1640年頃)、この辺り一帯は藩直轄の「お留山」であり、良林であったので、伊予側から国境を越えてやってくる森林盗伐組が跡を絶たず、よって盗人を捕えると耳をそぎ、墓をつくって埋めたといわれる。その跡を耳塚又は、耳墓と呼んでいる。

「本川郷の山々」 自念子ノ頭1,701

「耳墓壱ヶ所、此所ハ在所乃壱里余北ニ当予州境也。則予州ヘ往来仕候道端ニ右之耳墓有、先年予州乃木盗人大勢入来御山を伐荒申ニ付一々搦捕耳をそき墓ニ築埋め置申也。夫乃耳墓と申伝候、時代は野中伝右衛門殿御仕置之時代ニ而御座候由申伝候。」

『土佐郡本川郷風土記』 寺川村


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